どもー。
きたむーです(^^)
今日は前回に引き続き、サッカーにおけるマリーシアについてお話したいと思います。
前回の記事です↓
前回、日本代表の冨安選手がマリーシアに対する考え方を語っている記事を載せましたが、
今回も記事を載せておきますのでよければご覧ください。↓
すべてを海外選手のメンタリティに合わせなくていい
冨安選手は記事の中で監督やイタリアのメディアから「マリーシアが足りない」と指摘されながらも、
『ファウルをもらおうとする選手もいますが、そういうプレーに慣れるつもりもありません。』
と述べています。
こういった「正々堂々」のようなメンタリティは海外ではプロフェッショナルではないと捉えられがちです。
冨安選手がマリーシアが足りないと指摘されるのもこの部分のメンタリティがあるからだと思います。
近年では日本の解説者や評論家の中にも、こういった事を同様に「プロとして甘い」と評する風潮があると感じています。
ですが私は最近、このメンタリティは日本人しか持っていないもので、オンリーワンのメンタリティなのだから大切にすればいいのではないかと感じるようになりました。
ブラジル人のドリブルはブラジル人にしかできない
ブラジル人のサンバのリズムと言われるドリブルは、カッコいいしチート級にスゴい選手もいますよね。
当然、現日本代表選手でネイマールのような選手はいません。
次のネイマールやロナウジーニョを生み出せるのは「ブラジル」という国だけです。
私は、真似されないっていうのは、そのまま国の「強さ」に繋がると思うんですよね。
同様に、日本人としてのメンタリティから生まれるプレーは日本人にしかできない。
そのプレーが具体的に何になるのかは分かりません。
ですが、世界で戦う日本人選手が、マリーシアを望まずにクリーンにプレーすることを貫いているのなら、それも「日本にしかできないプレー」になるのではないでしょうか。
「カッコいい」を目指すエネルギーは強い
今から10年以上前の2010年、当時「ティキ・タカ」と呼ばれるパスサッカーでスペイン代表がW杯を制しました。
その後、日本や世界の国々でこのサッカーを目指したり、指導する機運が高まったように思います。ですが、結局どの国もスペイン代表を超えるパスサッカーをした国はないですよね。
それは、バルセロナの伝統とも言えるパスを繋ぐスタイルをスペインの人々が「美しい」とか「カッコいい」と思ったからではないでしょうか。
カッコいい事、美しい事を追究するエネルギーや情熱。
それはとても強く大きなものですよね(^^)
冨安選手は記事の中で
『ファウルではない範囲でスマートに抑える。そっちの方がかっこいい。』
と述べています。
スペインの人々がパスを繋ぐ事を美しいと感じたように、どこかの国の真似をするのではなく、日本の人々が生み出したものの中で「美しい・カッコいい」と思うサッカーがあるのなら、それが「日本のサッカー」なのだと私は思います。
他国の人々には理不尽や非効率に見えたとしても、日本の人々が美しいと思うサッカーを積み上げることが、何よりも強い日本サッカーを作っていくのではないでしょうか。
まとめ
冨安選手が示したマリーシアに対する価値観は、私自身は納得するものでした。
それは私が日本人だからで、他国の人であればこの価値観は理解できないものかもしれません。
もちろん、サッカー大国から学ぶ価値観や文化もあると思います。
ですが、すべてを「サッカー大国の文化に習え」とせずに、冨安選手が貫いた価値観にこそ、日本にしかない強さが透けて見えた気がします。
それは『自国のメンタリティを持って表現しているプレー』であり、他国の選手では表現できない『強い個性』という武器になるのだと思います。
私達サッカーファンを楽しませてくれる世界の強豪国の選手たちのプレー、それこそがまさに、それぞれの国のメンタリティからでしか表現できない『オリジナルのスーパープレー』として輝いているのではないでしょうか。
というわけで、今回はマリーシアというテーマでお話いたしました。
マリーシアをどう捉えるかは、個人個人で価値観が分かれる所だと思います。
皆さんにとっても、ダーティなプレー、クリーンなプレー、色んなプレーがある中で、ありなしどちらでも構わないので、考えるきっかけになっていただければ嬉しいです(^^)
ではまた、次回に★