どもー。
きたむーです(^^)
今日はサッカーでよく言われる『マリーシア』についてのお話です!
先日、韓国代表との親善試合において、日本代表の冨安選手が肘打ちを受けた件についての記事を目にしました。⬇
この中で、冨安選手が「マリーシア」についてご自身の見解を語っています。
よければ読んでみてください!
冨安選手のマリーシアに対する私の勝手な解釈になりますが、それは以下になります。
「(マリーシアを使わなかった事でチームに不利を被る場面があるとしても)マリーシアを上回るクリーンなプレーをすれば良い」
これに関して、恐縮ながら私も冨安選手と全く同じ価値観です。
そんな私も、以前は日本選手に対してマリーシアが足りないとか、あーだこーだ言っていました(偉そうやなー^^;)
ですが最近になって、日本人のメンタリティとしてダーティなプレーをしないのはそんなにダメな事なのかと思うようになりました。
マリーシアとは
そもそもマリーシアとは、ポルトガル語で「ずる賢い」という意味で、サッカーをされている方であれば聞き馴染みのある言葉ではないでしょうか。
特に、日本のサッカー選手はマリーシアが足りないと以前からよく言われていました。
私もこの言葉が日本に浸透してきた頃は、
「明らかなファールを受けているのに、アピール(痛がる素振り・審判への主張)が足りないために、良い位置でFKが貰えなかった」
といったプレーに対して「これがマリーシアが足りないという事か」と納得していました。
事実を事実として認めてもらうためのマリーシア
上記の例だけでなく、サッカーにおいてマリーシアと言われるプレーは多岐に渡ると思います。
その中で、プロとして勝利を目指す中で当然の「主張」のものも多くありますよね。
○スポーツは変わりますが、野球のキャッチャーには「フレーミング」と呼ばれる技術があります。
これは、ピッチャーが投げたボールをストライクに見せられるように、ミットを上手く動かして捕球する技術だそうです。
私はこれを知った時に、
「あーそうか、『ボール球』をストライクに見せられるから一流なんだ」と思いました。
しかし、取材に答えていたキャッチャーは言いました。
「ぎりぎりストライクコースに入っているボールを、そのまま『ストライク』と判定してもらうための技術だ」と。
つまり 正しい事実を、そのまま『正しい』とジャッジしてもらう事
そのためのマリーシアであれば、それは正しい使い方なのだと思います。
私自身、いちサッカーファンとして試合を観る際は、アピールや時間稼ぎなどは過度でなければ「勝利を目指すプレーの一部」と捉えています。
こういったマリーシアは、ファンも納得したプレーになるのではないでしょうか。
「嘘」を事実として認めてもらうためのマリーシア
ただそんな中、過度に痛がってプレーを止めたり、シミュレーションといったプレーには近年疑問を感じていました。
(私が一番好きなネイマールはこの代表格になっているという皮肉が辛い所です^^;)
こういったプレーは、実際には倒されていないのに「ファールを受けたという事実を作り出そうとするプレー」です。
プロとしての評価を見るならば、ダイブによってファールを取ってもらえれば、それはチームに利益をもたらすプレーになります。
ですが選手としての勝ち負けをシンプルに捉えれば、ダイブをした選手は「DFとの勝負に負けた」わけです。
それをダイブをしたことによって、負けたはずの勝負で「勝ち」をさらっていく。
サッカーには、こういった個人の「演技」によって局面でのプレーの勝敗を覆し、チームの勝利に貢献してきた歴史があります。
マリーシアが通用しない時代へ
近年ではヨーロッパの各国やJリーグでもVARが導入され、シミュレーションやダイブといったプレーがより可視化されつつあります。
以前のように、プレーの勝敗では負けていたのに演技で勝ちに覆す事が難しくなるのは間違いありません。
VARも完璧ではないですし、こういった時代はまだ先かもしれません。
ですが、今までと同じようにダーティなプレーを続けている選手と、冨安選手のようにマリーシアが足りないクリーンな選手とでは、前者の方が評価を落とす時代になるのではないでしょうか。
純粋に能力を高めることに向き合うメンタリティ
現状、冨安選手のように過度にファールをアピールしない選手は、例えば、貰えるはずのファールを貰えなかったとして「マリーシアが足りない」という評価を下されます。
その中で、冨安選手が記事で述べている「クリーンなプレー」とは、たとえ汚いプレーで来られたとしても、それをクリーンなプレーのまま上回るという事だと思います。
これは相手より能力的に完全に上回る事、という選手としての高みを目指す事を示しています。
もちろん、冨安選手も全部が全部こういったプレーをするわけではなく、必要であればファールを貰いに行くことも当然あるでしょう。
私が思うのは、足りない能力をダーティなプレーで補完しようとする選手か、純粋に能力を高めて補完しようとする選手か、という事です。
「マリーシアが足りない」と揶揄されてきた日本人のメンタリティですが、ポジティブに捉えれば、
『選手として純粋に能力を高める事に向き合うメンタリティ』だと冨安選手は教えてくれている気がします。
そして、VARの発展によって「ダーティなマリーシア」が浮き彫りにされ、今までのようには「演技」が通用しなくなる流れがくる。
その時に、冨安選手のようにクリーンなプレーを貫いてきた選手が「マリーシアが足りない」ではなく「能力が高く良い選手である」と評価される事を私は願っています(^^)
というわけで、非常に長くなってしまいましたが今回はここまでです。
一応まだ続きがありますので、よければ次回もご覧ください!
ではまた、次回に☆